森を使って健康になるのではなく、森も人も一緒に健康になりたい。 一般社団法人 森と未来 代表 小野なぎささん 後篇
次々と明らかになる森林浴のエビデンス。睡眠の質を高めるという研究も
編集部:前回は、次世代のリーダーの感性を育てる視点で、森の魅力を語っていただきました。現在、一般の人たちの間でも森林浴ブームは続いていますか?
小野:最近は、海外の方が森林浴に興味を持たれて、実践される方も増えています。1つには、技術の進歩で、森林環境が人体に及ぼす医学的効果のエビデンスが伝えられているからです。それに加えて、海外の方が興味や関心を持つのは、日本人の独特な自然観ですね。
日本は国土の約7割が森林です。ですから日本人は森で生きて来た時間が長く、あらゆるものに木を使ってきました。和室しかり、染物も草木、わさびもきれいな水のある山の中に生えています。地域ごとに森と人の文化があり、そういう文化に海外の方が興味を持っていると感じます。
編集部:今、お話に出て来た医学的なエビデンスというものも気になるところです。
小野:INFOM(国際森林医学会)という組織がありまして、世界中の医師・研究者が森林や植物による身体への医学的効果を研究しています。
森林浴の前後で採血や採尿、脳波を測定することで、例えば、血中のストレスホルモンが減るとか、ウィルスをやっつけてくれる免疫細胞のナチュラルキラー細胞が増えるとか、副交感神経が優位になり自律神経のバランスが整うとか、そういったデータが出ています。さらに、これらの作用を用いて森が生活習慣病にどう役立つのか?といった研究も始まっています。
国立研究開発法人 森林研究・整備機構らが行った研究では、森に入った日は睡眠時間が長くなるとか、睡眠の質が良くなるといった、睡眠の質についての研究も進んでいます。
太陽の光を80%カットする、人にやさしい木漏れ日効果
編集部:疲れた都市生活者には喜ばしいことだと思うのですが、特に森まで行かなくてもいい方法もありますか?
小野:はい。こういった作用は、奥深い森だけでなく、実は都市公園での森林浴でも短時間でも効果が得られるということがわかってきています。
太陽の光を浴びることは現代生活においてとても大切です。先ほどの睡眠に関しては、特に朝太陽の光を浴びることが、睡眠ホルモンであるメラトニンの材料となるセロトニンを作るために重要だといわれています。太陽を浴びた約15時間後にメラトニンの分泌が増加するということがわかっていますから。
でも、ただ日光をガンガン浴びればいいかというと、それはそれで紫外線の問題があるのであまり好ましくないわけです。森の中は緑のフィルターが太陽光の80%くらいを吸収してくれるので、ゆっくりと優しい木漏れ日が届き紫外線を気にせず日光浴ができるのです。
編集部:木漏れ日はとても気持ちいいですね。
小野:太陽の光だけでなく、木が放出するフィトンチッドという物質が、人間のからだにとって癒し効果があることもわかっています。木漏れ日やフィトンチッドを浴びて、様々な刺激で五感を開く、そういう時間を持つことが総合的に人間にとって良いということになりますね。
身近な小さな緑を感じよう!グーグルマップの緑色は自然がある印
編集部:エビデンスだけではない、それ以上の力が森にはあるということですね。
小野:現在、市内面積の約4割が森林という中国北京市をはじめ、中国では国土全域で森の健康に関心が高まっています。でも、中国へ指導に行った時、「NK細胞を増やす森にするためには何を植えればいいですか?」と尋ねられたことがありました。あまり効果やエビデンスばかり追っていると、人間の処方のための森になってしまうので、そこは注意しないといけないと思っています。
都会に暮らしている人で森の研修などに来て下さる方に対して、「また何かあったらここ(森)へ来てくださいね」と言うのはなく、森を離れてもできる「感じ方」をお教えしています。疲れた時に、木に触れてみるとか、木の下へ行って上を見上げて深い呼吸をするとか、葉っぱの色を観察したり匂いを嗅いでみることもオススメしています。毎日通る道の街路樹や身近な木々を通しての気づきもたくさんあります。
編集部:小野さんご自身がおすすめの、日常的に森を感じる方法はありますか?
小野:森林には視覚上の効果もありますから、映像や写真をみるのもいいですね。今はすばらしい映像があったりします。私はパソコンのデスクトップを森にして、作業するときにはメロディーのない森の音だけを聴いています。
あと、グーグルマップをみると、緑のあるところは緑色になっていますから、地方に行った時などはちょっと見てみて、緑の多い道を選んで歩くとか。ちょっとした心がけで自然は身近に発見できますよ。
編集部:海外のホテルを選ぶ時、緑色の公園の近くから探したりしています。
小野:そうそう。どこにでもある都市公園はいいですね。ちょっとしたベンチがあったりして。そこに座ってしばらく時間を過ごしてみるだけでも十分です。
編集部:よく、人は森で生まれ育ったからDNAレベルで記憶が刻み込まれていると言いますが...
小野:人間が人工的なビルに囲まれて生活し始めた時間なんて、人類が森の中で生きて来た歴史でみるとほんの数秒のことですから、現代の生活は少なからず身体にとってストレスなわけです。森に行くと気持ちいいと感じるのは、特段健康になったというよりも、ほんの少しでも元の状態に戻るからなのかもしれませんね。
自然には、朝日が昇り、夕日が沈むというリズムがあります。人間の身体も太陽を浴びて目覚め、夕方になると次第に眠気を誘うホルモンが出て眠るたくなるとか、自然と同じリズムがあります。なのに、日夜仕事をして、夜も昼間のように電気をつけて仕事をし続けるとなると、生き物的には無理が生じるは当たり前です。とはいっても、今それを全部やめるというのは無理なので、心も体も疲弊しきってしまう前に、たまに自然のリズムや人間本来の感覚を取り戻してあげるのが必要です。
森も人も健康になる活動を広めながら、森のことをもっと知ってほしい
編集部:それでは、最後に小野さんの今後の抱負をお聞かせください。
小野:今、日本には誰が持ち主かわからない放置された森がたくさんあるのが課題です。国土の約7割が森林ですが、そのうちの4割は人が植えた森で、そこは手入れをし続けないと存続できなくなります。
木は植えてから5-60年経ったころが使い時とされています。日本は戦争で森や山が焼け、軍事用木材も大量に必要になったことから森は伐採されました。戦後は、国の再生のために再び木材が必要になりさらに森林伐採が続き、生活には木材が欠かせなかったので、国は拡大造林といって全国で植林を行ってきました。そんな歴史を経て、日本は今、これまでにないくらい森が豊富な状態にあるのです。
かつては、森の活用というと、木材や林産物を売ることが中心でしたが、私はこれから人も森も双方が健康になることに貢献したいと考えています。森という空間は人間を健康にしますし、人が訪れれば森の整備も進み森も健康になります。
ようやく森林サービス産業という言葉もできて、森の幼稚園とかキャンプとか、国も林野庁もこれまでと少し違った森の空間の使い方を考えはじめています。
編集部:今回お話をうかがってみて、改めて森のことを何も知らないと気づきました。
小野:森林セラピストもアロマセラピストもそうですが、健康のために自然を活用する人が増えることはとても嬉しいですね。
一方で、日本の教育の中ではこれまで日本の森林や林業のことは殆ど習ってこなかったので、森は伐ってはいけないと思い込んでいる大人が多くいます。環境問題を考える時、森を守ることばかりに目がいきがちですが、森からしてみれば「もっと切って使ってよ」「買って使ってくれればもっと整備されるのにな...」という状態です。もっと日本の森の現状を知ってもらって、そういう誤解もなくしていかなくてはいけません。
会社名である「森と未来」の英語表記は、Future with Forestです。人と共に森の未来を考えるという思いを込めています。
これからも、森を人の健康のために利用するだけではなく、森も健康になれるから人も健康になれるという考え方で、活動を広げていきたいと思います。
小野なぎさ(おのなぎさ)NAGISA ONO
一般社団法人森と未来 代表理事
東京都調布市出身。東京農業大学 森林総合科学科卒業後、企業のメンタルヘルス対策を支援する会社へ就職し、認定産業カウンセラー、森林セラピストの資格を取得。約10年間で、森林を活用した研修プログラムの開発、健康リゾートホテル事業、海外のメンタルヘルス事業の立ち上げを経験。山村地域と連携し森林浴を活用した観光プラン、企業研修、人材育成を実施し、執筆や講演活動を行う。2015年一般社団法人 森と未来を設立し現職。2019年より林政審議会委員に就任。著書に『あたらしい森林浴』(学芸出版社、2019.7.20発売)
編集:COCOLOLO ライフ magazine 編集部