不動産業から相続コーディネートへ!新たなビジネスモデルを作って家族のきずなに貢献したい 株式会社夢相続・曽根恵子さん 前編

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現代社会はストレスとの闘いです。「こころを整える」ためにどうすればいいのか、各界の著名人をゲストに招いてCOCOLOLOライフmagazine編集部がメンタル面の変化に着目しながら切り込んでいく「こころトーク」。

今回インタビューをさせて頂いたのは、株式会社夢相続 代表取締役・曽根恵子さん。
全く別の分野から不動産の世界に入り、実務の中で「相続コーディネート」の必要性を実感したことから相続コーディネートという業務を創り出し、感情面・経済面に配慮した「オーダーメード相続」を提案。

これまで数多くの相続に関する問題と向き合ってきた経験から、家族間のコミュニケーションが重要だとして「一般社団法人家族をつなぐコミュニケーション研究会」を発足させ、家族とキモチを共有する「家族をつなぐキモチノート」というアプリ開発や「家族をつなぐきずな倶楽部」というウェブマガジンも運営されています。

そんな曽根さんのライフワークとは?前編では相続コーディネートをはじめたきっかけについてお聞きしました。


女性でも宅建取引士の資格を生かして起業することができました

編集部:どのようなきっかけで相続コーディネートをはじめたのでしょうか?

曽根:相続コーディネートは不動産業の仕事をする中でヒントを得ました。私が不動産賃貸管理会社を立ち上げたのは昭和62年。実は最初に就職したのは出版社の営業で不動産とは全く縁がありませんでした。

結婚を機に専業主婦となり、中小企業診断士だった義理の父親の手伝いをするうちに「不動産ができた方がいいね」という話から宅建の試験を受けることになって。何も知識がない状態から試験に合格したことをきっかけに、不動産業に関わるようになりました。

まずは自宅近くの不動産会社に勤めながら、子ども2人を出産。その後、独立をしました。当時の私には宅建取引士の資格しかありませんでしたので、他の選択肢はなかったのです。

 

編集部:キャリアが短くても独立の道を選ばれた理由とは?

曽根:子どもが小さかったので会社勤務の方が大変だと思い、自分で会社をつくりました。会社勤めよりも独立した方が自由に動けると思ったのです。

幸い簿記の資格を取っていましたし、義理の父の手伝いをしていた時に会社設立の書類を何度も作成していたので、その経験を生かしました。
その頃はオフコンからパソコンの時代でしたので、会計の専用機も出ていましたし、会社の定款認証や設立登記も全部自分で行いました。

 

編集部:実際にご自身で不動産会社を始めてみていかがでしたか?

曽根:不動産業のイメージが悪いことに気がついて、愕然としました。会社を立ち上げた昭和62年はバブル経済のはじまりの頃。土地価格が上がり、転売で利益が出る時代となり、不動産業が活性化したものの「土地転がし」と呼ばれるような、利益主義が不動産のイメージとなりました。
当然、男性社会でもありましたので若い女性が取り組める仕事のイメージではありませんでした。

だからこそ、信頼を得るためには自分で実績をつくり、認めてもらおうと考えました。最初に取り組んだのは、アパートやマンションのプランニングをご提案し、建てて頂いて管理する不動産コンサルティングの仕事でした。
自分で考えたコンセプトを提案書にしてオーナーさまにご説明し、決断して頂きました。当時はそのようなコンサルティングがない時代でしたので、お手本はなく、自分で試行錯誤しながら作りました。

現在も不動産会社のコンサルティングは不足しているように思います。
一般的な不動産会社のイメージといえば、「売買」「賃貸」「管理」ですが、不動産業こそ、コンサルティングが必要で提案力が求められていると感じます。

 

 

編集部:男性とは違う女性ならではの視点ですね!その後は順調でしたか?

曽根:不動産コンサルティングの仕事は順調で、ご紹介などから少しずつご依頼を頂けるようになり、確実に評価へと繋がりました。不動産コンサルティングや賃貸管理の会社なのに、その間、土地を売却したいというお客様からの依頼が増えてきました。その背景には「相続税の支払い」という問題があったんです。

当社で最初に大家さんになって頂いた方が亡くなったのが丁度その頃。残されたご家族の役に立てればと思いお手伝いをさせて頂きました。それが「相続コーディネート」が必要だと気づくきっかけとなり、この仕事をつくるヒントになりました。

編集部:最初の相続コーディネートはどのような内容でしたか?

曽根:亡くなられた方は1,000坪の土地を所有されていた大家さんで、アパート経営の賃貸業で生活されていました。財産の大部分が土地ですから、預金はほとんどなく、相続税を払える余裕はなかったのです。

ですので、相続税を安くできないかと税理士さんともあれこれ知恵を絞った結果、土地の評価を下げることができれば、亡くなってからでも相続税を安くできることがわかりました。1つは真ん中の私道を分筆して0(ゼロ)評価にしました。

次に新しい路線面をつけて、それぞれの土地を分筆して子どもたちに分けるようにしました。結果、全体の土地の評価が下がり、納税額3,000万円から1,960万円に節税することに成功。土地の売却で納税資金も捻出できたのです。

お客様に貢献ができたこの経験から、不動産業から相続につながる新しいビジネスモデルがつくれると直感しました。「相続をコーディネートする」これが今の事業のコンセプトになっています。

 

家族の絆を深めて、夢を共有できる、夢相続にはそんな想いが込められています

編集部:家族が元気でいる間は考えてもいないのが「相続」のことですが、いつか必ず直面する身近な問題ですよね

曽根:そうですね。相続税は亡くなられた後でもいろいろな方法によって節税が可能です。その事実をもっと多くの人に知って頂けたらと、相続コーディネートで携わった事例をまとめ、書籍にして出版しました。
平成11年に出版した1冊目では、自分がつくってきた実例の一部を取り上げて節税効果などをご紹介しました。

ご自分に近い実例があれば、身近に感じて頂けて多くの方のお役に立てると思っていましたが、反響が大きく全国からご依頼が来るようになりました。
でも、当時は不動産会社のコンサルティング部門が相続コーディネートをしていましたので、お客様の立場からすると相続と不動産会社が結びつかないことも懸念されました。
そこで立ち上げたのがNPO法人。無料相談の窓口としました。相談だけではなく、相続をコーディネートする実務ができる会社も必要になり、「夢相続」をつくりました。

最初は「資産相談センター」次に「相続相談センター」としましたが、「夢を共有する」「家族の絆を深める」この願いを込めて「夢相続」という名称に変更しました。

相続は日常的な家族のテーマですので、前向きでオープンな名前がいいと、今までの発想を超えた名称にしました。


専業主婦だった1人の女性が宅建取引士の資格を取ったことから不動産業へ、さらに「不動産」から「相続」へつなげてつくり出した「相続コーディネート」という新しいビジネスモデルには、家族のきずなをつなぎたいという想いが込められていました。

後編では不動産や相続コーディネートは夢があり、楽しみのある仕事だというお話をお届けします。


曽根 恵子(そね けいこ) KEIKO SONE
(株)夢相続 代表取締役 、(株)フソウアルファ、(株)グローバル・アイ 代表取締役
一社)家族をつなぐコミュニケーシヨン研究会 代表理事 一社)不動産女性塾 理事
公認 不動産コンサルティングマスター相続対策専門士・不動産有効活用専門士

(株)PHP研究所勤務後、昭和62年不動産会社設立、不動産コンサルティング、相続コーディネート業務を開始。相続相談に対処するため、平成12年NPO法人設立、内閣府認証を取得。平成13年に相続コーディネートを業務とする法人を設立、平成15年に東京中央区八重洲に移転し、平成20年に社名を【(株)夢相続】に変更。
【相続コーディネート実務士】の創始者として1万4300件の相続相談に対処。夢相続を運営し、感情面、経済面に配慮した“オーダーメード相続”を提案。“相続プラン”によって「家族の絆が深まる相続の実現」をサポートしている。
著書に「相続税を減らす生前の不動産対策」(幻冬舎)、「相続はふつうの家庭が一番もめる」(PHP研究所)等多数(著書・監修 50冊、累計 38万部)

家族との絆を深めることで人生をより豊かにするためのヒントを提供するWEBマガジン
家族をつなぐきずな俱楽部:http://kazoku-kizuna.jp

株式会社夢相続:https://www.yume-souzoku.co.jp/

 


編集:COCOLOLO ライフ magazine 編集部