歯科医とヨガの意外な関係〜あいうべ体操の今井一彰が健康と仕事の“常識”を覆す(後編)

医師としての仕事がなくなることこそが、医師の究極的な目標だ

——先ほど今井先生もおっしゃっていたように、医師が自分の生業のことを考えたら、従来通り治療の部分を囲い込もうとするのは自然なことですよね? そこはどう突破していけばいいんでしょうか。

今井 これは山中さんの仕事とは相反するかもしれないんですが、医師には、いっぱい検査していっぱい治療しないと、患者さんの病気は治らないものだと思い込んでいるところがある。それで医療費がどんどん増えている側面があるんですよね。開業する時に検査機器をいっぱい買うから、減価償却しないといけないという面もあります。

でも、うちには検査機器など驚くほどないんです。患者さんの中には、お話だけしてスッキリして帰っていく人もいます。それだけで気持ちが緩和されて、病気がよくなるということだって結構あると思うんですよね。

山中 おっしゃる通りだと思います。それは歯科医にしても同じで、先生方がどこで収入を得ているかというと、その多くが保険診療によって国の医療費で賄われているんですよね。でも、例えばあいうべ体操をご存じでも、保険点数にはならないので、なかなか浸透していかないところがある。

今井 実際に私も直接言われたことがありますよ。「どこで収益を上げればいいの?」って。

山中 一方では、しっかりと患者さんのことを考えた歯科治療や予防診療をされている歯科医師の方も本当に多いので、それこそマーケティング的な考え方であいうべ体操を取り入れるというのでも、十分やっていけると思うんですけどね。

今井 そうなんですよ。初めは収入が減ったとしても、後で確実に増えるというのは経験的にも言えますね。うちだって最初は患者さんが来なくて大変でしたよ。「鼻炎を治してください」って言ってきても、2、3回くれば治って、もう来なくなるわけだから。「薬を使わない治療」とかかっこいいこと言ってるけれど、開業当初はカミさんと2人で頭を抱えましたよ。

——でも、続けたことでそうでなくなった?

今井 そう。「あそこに行ったらよくなるよ」と口コミで広がって。通常、内科は大体3年で黒字になると言われているんですが、うちは半年で黒字に転じました。それはもともと検査機器などなくて、固定費が少なかったからです。だから、私にできることが一つあるとしたら、私みたいな軽量な開業の仕方でも、医者としては食っていけるというのを見せることかな、と。

——ロールモデルというか。

今井 そうです。ロールモデルになりたいという思いはありますね。でも一方で、究極的には仕事がなくなることこそが仕事、みたいなところがあるじゃないですか。仕事っていうものが何かしらの社会課題を解決するような行為だとしたら、最終的にはそういう仕事がなくなることこそが世の中の幸せなわけで。

医師という仕事をするのには免許がいるけれど、医師の免許を持っていることと、それで食っていくというのは、本来別の話のはずです。実際、医師の免許を持っていながら作家をやってる人だっているし、別の会社を経営している人だっている。

私としては、本気で病気を減らしていくというのは、自分の医者としての仕事を減らしていくというのと同じ意味だと思っていて、だから医者の仕事にいつまでもしがみつかないでいいように、どこかで飯のタネは探さないといけないということは常に考えていますよ。残念ながら、あいうべ体操で食っていくのは難しいでしょうが(笑)。

——究極的には自分の仕事をなくすことこそが仕事である、というのはとても響きました。今、医師の仕事に限らず、AIに仕事が奪われるのでは?ということが取りざたされていますが、それだって世の中がよくなるのであれば何の問題もないわけで。だったらまた別の社会課題を解決することに尽くせばいいわけですよね。

今井 そう。私だって本当は予防なんて言いたくないんですよ。患者さんは減るし、予防って要は何も起きないのが理想的な状態だから、評価もされない。風邪を引いた人にどんどん抗生剤を処方していれば、それはそれで楽ですよ。でも、それは果たして本当に人のためになっているのか。

口呼吸の改善をしていて患者さんによく言われるのは、「もっと早く知りたかった」という言葉です。そういう人を一人でも減らすためには、誰かがそれをやるしかないんです。幸か不幸か私はそのことに気付いてしまった。知ってしまったからにはそうせざるを得ないってところがあるじゃないですか。自分自身の良心の呵責というか……。

健康になるための方法は、そこかしこにいくらでもある
山中 先生のお話はヨガの教えと通じるところがたくさんあると感じます。ヨガはサンスクリット語で「つなぐ、つなげる」を意味する「Yuj(ユジュ)」に語源があるとされるように、姿勢を正す、食べる、呼吸するといった一つ一つの行為は、全てつながっているという考え方に基づいています。その入り口が鼻であり、口である、と。先生が「歯科医にしかできないことがある」というのは、まさにそういうことですよね。

先生が実践する「薬を使わない治療」というのも、ヨガの考え方と一致していて。私の友達に、ビールをガブガブ飲んでいる一方で、薬で尿酸値を下げて「問題ない」と言っている奴がいて、確かに数字は落ちているかもしれないけれど、「それじゃ身体がおかしくなっちゃうんじゃないの?」って私はよく言うんです。本来、そうやって薬に頼るんじゃなくて、自分自身の身体がもともと持っている力を伸ばしてあげる方がいいはずじゃないですか。ヨガをやることで目指しているものというのも、そういうことだと思うんです。

——山中さんが初めて今井先生のお話を聞いた時に、その符合に衝撃を受けたというのも分かる気がします。

今井 ヘーゲルという哲学者が残した言葉に「らせん的発展」というものがあります。ものすごく革新的なことをやっているようで、実は大昔の人がやっていたことをなぞっているだけに見えることがある。けれども実際には少しずつ変わっていっていることもあって、物事というのはそうやってらせん的に発展していくものなのだ、という考え方です。

だから、ヨガの人が何千年も前にやっていたことと、今の私たちがやっていることが、本質的には何にも変わっていないということがあっても、それは不思議なことじゃない。最近よく言われるマインドフルネスだって、言葉としては新しいけれど、おそらくお釈迦様が瞑想をして悪魔を払ったとか、そういうところから来ているはずです。その中でより科学的に、より洗練されていっているということでしょう。

逆に言えば、こういうスタジオに来てヨガやマインドフルネスをやる場合にも、それを特別なこととしてやるのか、それともスタジオの外にもそれを持ち出すのかで、おそらくそこから得られるものは大きく変わってくるのでしょう。本来は、咀嚼することにも、呼吸することにも、ピーナツ一粒を手にとって触って、匂いを嗅いで、どう砕くのかということにもマインドフルネスがあるはずで。

そう考えると、自分が健康になっていくという目標に対して、何を使ってそこへたどり着くかという手段は山ほどある。それが、予防は誰にだってできるってことの意味だと思うんですよね。日々の食卓だって予防なんだ、ってね。

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