「心を閉じない、飲み込まれない」。マインドフルネスとは現実を等身大に感じること。 医学博士 早稲田大学人間科学学術院教授 熊野宏昭さん 前篇

今年最後のこころトークゲストは、NHKスペシャル「キラーストレス」や「健康チャンネル」などでストレスやマインドフルネスを親しみやすく解説しておられる熊野宏昭さん。医学博士で臨床心理士でもあり、医療現場と早稲田大学人間科学学術院で長年臨床研究を続けておられます。
自身は高校2年生でヨガに出会い、自律訓練法を15年間毎日続け、人生の苦境に立たされた時にマインドフルネスと出会い本当に救われたとのこと
その後はマインドフルネスとともに生きているという先生に、うつ病や不安症への適用などを交えながら、益々関心の高まるマインドフルネスの本質について今一度丁寧に教えていただきました。
私たちの認知や行動パターンについて改めて考えさせられると同時に、時間に追われがちな日常を振り返るきかっけにもなるお話です。前篇・後篇2回にわたってお届けします。


 

苦しくて苦しくてしかたがなかった時、マインドフルネスに救われた

編集部:まずは先生ご自身はどのようにしてマインドフルネスと出会われたのですか?高校生の時からヨガをされていたとのことで、そこからの流れもとても気になります。

熊野:実は高校二年生のとき突如頭が働かなくなって、ヨガの逆立ちを始めました。鹿児島のラサールまで行ったのに勉強が不振で、「こんなことではいけない!なんとか頭を良くしなくては!」と思って始めたのがきかっけです。これがやってみると記憶力がものすごく良くなって、そこから大逆転で東大の医学部に現役で合格できました。それからヨガって面白いな~と思って、大学に入って心療内科でヨガのグループ療法をしていた先生を訪ねたりもしていましたが、30代になってからは心身ともに健康になろうと思い立って自律訓練法を始めました。こちらは15年間毎日続けました。

マインドフルネスはその後2005年頃に出会って今も続けています。きっかけは、当時東大の教授選に出たのですが自分の力不足で教授選自体が流れてしまったんですね。すると非常に心が苦しくて辛くなりまして…。「自分は瞑想も自律訓練法も長年やってきたし、心療内科医でストレスの専門家なのに、なんでこんなに苦しいんだ?」と。

これはまさに仏教で言うところの「貪瞋痴(とんじんち)」だと思いました。貪は欲、瞋は怒り、痴は混乱ですが「自分」を作り出す心の働きともされます。そこで藁をもすがる思いで覗いたテーラワーダ仏教協会のHPの法話集に、「マインドフルネスとは、ふつうに心が働く、その働き方を壊す方法」と書いてありました。「ふつうに心が働いて感じるのが壊れれば、この辛いのもなくなるのか…」と思って、実際やってみると確かに少しずつ心が軽くなり、いろんなものが鮮明に見えてくる感じがありました。そこからずっとマインドフルネス人生を歩んでいます。今こうして生きている私ですが、振り返ると本当に何度もマインドフルネスに救われているのです。

 

五感や六根で目の前の現実を「感じ取る」

編集部:ご自身の経験があった上で臨床研究に取り組まれているのですね。そのマインドフルネスですが、今や色々な言葉で解釈されていますが、一言でいうと何なのでしょうか?

熊野:マインドフルネスとは何か?といえば、それは「現実をきちんと、等身大に感じる」ことだといえます。

私たちは何か新しいものに出会ったとき、本来、あれこれ考えなくても目の前の現実を「感じ取る」ことができるのです。
子どもが初めての大人に出会った時、親の後ろに隠れて用心深そうにしたり、ワ―っと駈け出したりしますが、あれはまさに現実の出来事を感じて理解しているのです。この時使っているのは「五感」です。あるいは仏教では考えるということも含めて「六根」ともいいます。

 

編集部:六根…6番目の感覚、ということですか?

熊野:「六根」は「五感」に思考を加えたものを指しますが、ここでの思考は考え続ける思考ではなくて、ふっと浮かんでくる思考(これを自動思考といいます)です。例えば、向こうから苦手な人が歩いてきて「わっ、イヤだ」と思って一瞬顔を合わせたくないなと思うけれど、通り過ぎればその考えはすぐに忘れる。でも何となくざわざわとした気持ちが残る…のように状況に応じて自動的に起こる思考です。「自動思考」は、「五感」が外界の変化を捉えることで引き起こされた脳の変化を知覚する感覚器といえるかもしれません。

本来、我々は「六根」で現実を感じることが出来るのですが、学校で勉強をしたり毎日仕事漬けになるうちに、論理的な思考を働かせる能力ばかり発展してしまって「感じる」ことを忘れてしまうのですね。

 

 

人はいとも簡単に「バーチャルな現実」に飲み込まれてしまう

編集部:確かに、気づくと何か考えてさまよっていて、感じることを忘れていますね。

熊野:そうなのです。考えるときには必ず「言葉」が働いているのですが、その言葉は「バーチャルな現実を作り出す」力を持っているということが、ここ30年くらいの基礎研究で随分わかってきました。言葉を持つ人間はこのバーチャルな世界に飲み込まれてしまうことがとても問題なのです。

例えば、目を閉じてレモンと言うとレモンのイメージが浮かんできて、唾まで出てくる。でも実はレモンなんてどこにもないことはわかります。ですが、考える対象がモノでない場合は現実とバーチャルの境がなくなってしまうのです。例えば「電車に怖くて乗れない」という人は「電車」と思っただけでドキドキしてきて、「乗ったらなんかひどい目に会うんじゃないか」「息が苦しくなって叫び出すかも、、、」と心の目でどんどんバーチャルな世界が見えてくるわけです。特に「自分」がどうにかなっちゃうんじゃないかと考えると、いてもたってもいられなくなってしまうのです。でもこれは現実ではありません。バーチャルな現実に飲み込まれて自分で自分の首を絞めているようなものなのです。

 

ポイントは「心を閉じない、飲み込まれない」で等身大の自分を感じること

編集部:先生は「心ここにあらず」という言葉もよく使っておられます。

熊野:「心ここにあらず」とはマインドレスな状態です。これには2つあって、一つは「自分の考えに飲み込まれて考えの世界にいってしまっている」状態。もう一つは「心を閉じて現実を感じないようにしている」状態です。

我々が習慣を身につけるときにはオペラント学習という原理が働きます。何か行動してその結果いいことがあればその行動がクセになって習慣化する、悪い結果が伴えばその行動は減ってくる。そして、良い結果も悪い結果も得られない時は、ある時点で身についていた行動パターンが消えていく、そういう原則です。

例えば、不安症の人は不安を感じると「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせます。すると短期的には怖いところへ行くときに「『大丈夫』といえば大丈夫」というパターンが学習されます。しかし根本は何も解決していませんし、逆に現実に心を閉ざして不安を抑え込んだ分、あとで三倍返し四倍返しになって噴き出してくるので余計に辛くなるわけです。
このような行動は誰でも身につけているもので「体験の回避」と言いますが、長い目で見ると決してうまくいかないやり方です。

それに対してマインドフルネスというのは「心を閉じない、飲み込まれない」で、ちゃんと「ここ」にいて「現実を感じ取っていく」という状態を目指します。

 

 

マインドフルネス=「集中を高める」方法という理解には要注意

編集部:ところで、最近マインドフルネスがいろいろな形で紹介され随分広がりをみせています。その中で先生が問題だと思われることはありますか?

熊野:それに関しては2つあります。一つは、「集中力を高める方法」とか「生産性を上げる方法」といった理解のされ方。もう一つは「リラックスする方法」とか「ストレスを解消する方法」という理解。これらはいずれもマインドフルネスの一部ではありますが、正しく理解するには不十分です。

まず後者からいうと、マインドフルネスでは、不安が強い人は現実の不安をきちんと等身大に意識します。ですから必ずしもリラックスするわけではありません。
そして、前者の「集中力を高める方法」と説明するのはかなりマズいと思っています。マインドフルネス瞑想をやってうまくいかないとか、臨床の現場でいわゆる副作用的なことが出て具合が悪くなるとすれば、それは過集中の時です。つまり、やり過ぎ、のめり込み過ぎの時によくあるケースなのです。ですから、私は常々、マインドフルネスで集中力を高めるんだ!と言っている人たちに対しては、ちょっと困った人たちだなぁと思っています。

後篇に続く


熊野 宏昭(くまの ひろあき) HIROAKI KUMANO

早稲田大学人間科学学術院教授、同大学応用脳科学研究所所長。認知・行動療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピー、マインドフルネスなどの行動医学的技法を用いて、特に医療場面で短期間で大きな効果を上げるための研究を行っている。
早稲田大学心理相談室において相談補助員の指導に当たるとともに、綾瀬駅前診療所・赤坂クリニック・新座すずのきクリニックにおいて、心理師と協力しながら、パニック障害、うつ病、摂食障害、心身症などの診療も行っている。


編集:COCOLOLO ライフ magazine 編集部

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